骨董品ブームの先駆け「茶道具」の人気と茶の湯の歴史背景。高値の売買が期待されるおすすめの楽茶碗とは

ライフハック

茶道具は昔から愛好家・コレクターが多い、人気の骨董品です。数ある骨董品の中で、なぜ茶道具・茶掛けは注目を集めているのでしょうか?

「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし」

この言葉は、かの「千利休(せんのりきゅう)が残した言葉です。
「茶の湯」、その後千利休が確立したとされる「わび茶」。これらはお互いにどのような関係性を持っているのでしょうか?そして、利休の残したこの言葉の意味とは。
ある文献によると「茶道は、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。」とあります。

今回はこの「茶道 = 総合芸術」の中身を茶の歴史にも触れながら、今人気の骨董品である茶道具の人気の秘密に迫っていきたいと思います。

茶道とは

「茶道」とは伝統的な様式に則って客人に茶を振舞う行為で、別名「茶の湯」ともいいます。
ただお茶を入れて楽しむだけではなく、お茶を点てるのに使う茶道具やお茶室に飾る美術品、茶器をはじめ、茶室や庭などの空間から、お茶会ごとに出てくる会席料理や和菓子などの食、さらには生きていく上での目的や考え方など広い分野にわたって様々な文化が加わって発展したものと言えます。

茶の湯について掘り下げてみる

現在、茶の湯の作法には決まった動作があります。

  • お茶の点て方(点前/てまえ)
  • いただき方
  • 座り方
  • 礼(お辞儀)の仕方
  • 立ち方
  • 歩き方 等

茶会を通じ、主人は「相手を思いやること」「相手に喜んでもらえるように行動すること」客人は「相手の思いやりを察すること」「感謝すること」を学んだり、感じたりします。

これが私たちが理解している茶道(茶の湯)というものではないかと思います。
しかしながら当時は、現在のような、作法を重んじ緊張感のある状況で執り行われていた儀式ではなく、大人数で(ワイワイと)「闘茶」という遊びを通じお茶を楽しむ。これが茶の湯と呼ばれていたのだそうです。
茶会というよりもむしろ宴会、と指摘する方もいらっしゃるようですね。

そしてのちに「闘茶」を楽しむ武家や公家の人たちは、お茶を楽しむより、茶室の豪華な飾り付けや茶器を競い合うようになりました。
豪華で高級な茶器を使うことが、彼らの中では自分の権力を象徴し、彼らの中でブームとなっていた様ですね。

茶道の歴史を紐解く

日本における茶道の原点は古く、中国の唐代の文筆家である陸羽が書いた「茶経」という書物が日本に持ち込まれたことから始まります。その後、茶は空海と最澄が、そして茶を飲む習慣・製法等は平安時代に遣唐使によって持ち込まれました。
当時日本人は、茶を嗜好品としてよりも貴重な薬としてとらえており、必要量のみを煎じて飲んだと考えられています。

茶を飲む習慣が一般に普及していったきっかけは、鎌倉時代に禅宗を伝えた栄西です。栄西は中国から持ち帰った茶を宇治の明恵上人にも茶の種を送り、それが宇治茶の起源とも言われております。
また、源実朝に、茶と茶の種類や抹茶の製法、身体を壮健にする茶の効用が説かれた「喫茶養生記」を献上したことで、一般庶民だけでなく武士階級に茶が広まる足がかりとなりました。

広く浸透した茶を飲む習慣は、室町時代に入ると博打に茶が利用されるようになりました。これは、飲んだ茶の銘柄を当てる利き茶のような遊びで「闘茶」と呼ばれました。
現在の私たちが考えるような、しっとりとしたお茶会ではなく、大人数でワイワイとお茶を楽しむ。実はこれが「茶の湯」のルーツとされています。

これに対し、足利義政の茶の師匠である村田珠光が茶会での博打や飲酒を禁止し、亭主と客との精神交流を重視する茶会のあり方を説いたとされています。

「高価・名器じゃなくても普段使いの茶碗や、欠けているものでも、双方が心で補って満たせばよい」

これが村田珠光が説く、わびの考えであり、これがわび茶の「わび」の部分にあたります。

しかし未だに大名などの間では、「茶の湯は豪華絢爛」という傾向にあり、両者は真っ向から対立することとなりました。

千利休

「わび茶」の源流を築いた村田珠光、そして「茶禅一味」というスタイルを確立した(千利休の師匠である)武野紹鴎。この二人の教えに「おもてなし」の心を付け加えた、侘茶(わびちゃ)を確立した人物が、かの「千利休」です。

  • 村田珠光・・・「欠けているものでも、双方が心で補って満たせばよい」
  • 武野紹鴎・・・「必要ないものをそぎ落として表現する茶禅一味」
  • 千利休・・・「茶室のしつらえは、余計なものをそぎ落として表現し、客人が満足するような心のこもったおもてなしをする」

茶席は誰でも楽しめる空間でありながら、洗練された場でもあるという、特異な場所となっていき、これが後に商人や戦国大名へと支持を集めていきます。
利休が確立した「わび茶」は、次第に戦国大名のたしなみとなり、多くの戦国大名が利休の元を訪ね、中には大名茶人という人物達まで現れました。

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現在の茶道の源流「わび茶」

茶の湯や茶道を細かく見ていくと、時代によってたくさんの様式があることがわかってきました。
その中でも「わび茶(侘茶)は、現代で使われる一般的な「茶の湯」や「茶道」という言葉のイメージに最も近いお茶のスタイルであると言えます。

「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたててのむばかりなる事と知るべし」

お茶は難しいことは何もない。お湯を沸かして、お茶を点てて飲むだけのことです。本当になんでもないことなのです。でも、この当たり前のことを当たり前にやるということの難しさを知りなさい。
これは、全てをまったく同じ状態で再現し続けるという意味となり、それを説いた、千利休が残したとされる有名な逸話です。

尚、利休が確立した茶の湯である「わび茶」は、表千家、裏千家、武者小路千家のいわゆる三千家によって受け継がれ現代の茶道を牽引しています。

茶道具の人気

このようにごく一部、歴史を紐解いただけでも、茶道には、芸能・芸術、礼儀等、日本の文化・心が、長い年月をかけて凝縮されている事が理解できます。
そして、茶道と言えばやはり茶道具は切っても切れない存在です。茶道の歴史が古いだけあり、共に歩んだ茶道具も、陶器をはじめ様々な種類が存在します。江戸時代に茶道具は特に親しまれるようになり日本の古典芸能・芸術のひとつと位置づけられるようになりました。

骨董品として現在人気の陶器の茶道具とその価値

人気の茶道具に、茶碗、水指(みずさし)、茶器(棗)がありますが、中でも、「楽焼(らくやき)」は、さまざまな茶碗の基礎となっているといわれるもので大変人気の陶器です。楽焼の技術は現代にまで引き継がれています。

骨董品として人気の高い陶器「楽焼」

楽焼の茶碗は楽茶碗とも呼ばれ、蹴轆轤(けろくろ)を使用せずに、へらを使って手で形成されることが特徴であり、焼き物師「樂家初代長次郎」によって桃山時代につくられました。赤、黒、白を使った地味な色合いの作品、そして美術品としての華やかさを表現した作品と様々です。
のちに豊臣秀吉から「楽」の印をさずかり、屋号を楽にしたとのことです。このように楽焼は、茶道具の名器として親しまれ、現在でも人気の理由となっています。
尚、黒い釉薬(うわぐすり)を使った黒一色の「黒楽」と、赤一色や赤地の一部を白く抜いたり、黒い釉薬で色をつけた「赤楽」の二種類があります。

また参考として、楽焼以外にも人気とされている茶碗をいくつかご紹介します。

  • 美濃焼(みのやき)・・・現在の岐阜県東濃地方で焼成される陶磁器の総称。人気に「黄瀬戸」「瀬戸黒」「志野」「織部」という種類があります。
  • 唐津焼(からつやき)・・・佐賀県唐津市、長崎県北部などの広い地域で焼かれた陶器の総称です。
  • 萩焼(はぎやき)・・・萩藩の御用窯で焼いていた萩焼です。窯は山口県萩市にあります。茶の湯で用いるやきものを萩藩の御用窯で焼いていた萩焼。現在の山口県萩市に窯があります。

茶道具には、
湯冷まし、棗、茶入れ、蓋置、香合、水注・水指、棚・長板、花入、銅鑼・喚鐘、皆具(水指・杓立・建水・蓋置の四器が揃ったもの)など、ご紹介した陶器以外にも実にさまざまな種類が存在します。

もしご自宅等で、年代を感じる茶道具(らしきもの)を発見した際には、査定・鑑定をしてもらってはいかがでしょうか?
「出張買取」「宅配買取」「持込買取」、そして無料で査定して頂けたりしただける骨董品店もありますのでおすすめです。

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